26歳の時に交通事故で首を骨折し入院。頚椎を損傷した影響で、事故当初は全く体を動かすことができなかったが、8ヶ月間の治療の末、退院して日常生活を送れるまで回復。しかし胸から下の身体のほとんどに麻痺が残り、車いす生活に。退院後もリハビリ生活を続ける。そのリハビリの一環として先生に勧められ、2018年から車いすバスケットボール(薩摩ぼっけもんに所属)を始める。その他にも、さまざまな競技を経験し、2019年に車いすラグビーと出会った。(福岡DANDELIONに所属)し、そしてこの競技の魅力に魅かれ、本格的に競技者として車いすラグビーを始める。2020年には日本代表候補強化指定選手に選抜され日本代表を目指す。
しかし、2023年9月に車いすラグビー競技の障害のクラス分けの再検査を受けた際、身体機能の回復により、「上肢の障害無し」と判断された。競技規定により選手資格を失う。世界で闘うと言う夢が絶たれてしまった。
それでも一度目指した「世界への道」どうしてもを諦めることができず、また世界を目指すことができる競技へ転向することを決断。そこで新たに出会ったのが「パラカヌー」。2024年1月に車いすラグビーを引退後、競技者としてカヌーを始める。水上でバランスをとりながら前に進むカヌーは、体幹の効かない私にとっては難しく、パラカヌー競技では障害の最も重いクラスに分けられる。そのなかで身体のトレーニングはもちろん、装備の改良など、試行錯誤し200mのレースに挑戦する。現在は「一般社団法人日本パラカヌー連盟」に所属し次世代育成選手として次期日本代表を目指す。